大判例

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東京高等裁判所 平成4年(ネ)4968号 判決

控訴人

栃木県

右代表者知事

渡辺文雄

右指定代理人

谷口悟

外六名

被控訴人

中村幸史

右訴訟代理人弁護士

塩津務

篠連

池田秀敏

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は、第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文と同旨

二  当事者の主張

次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりである。

(控訴人の当審における主張)

本件事故について、秋元監督には過失はなく、被控訴人は投球後ボールの注視を怠ったため、右耳の後ろに打球を受ける結果となったのであって、この点に関する原判決の認定は誤っている。

まず、原判決は、本件事故時の打者と投手(被控訴人)との距離を約一二メートルと認定している。しかし、証拠を検討すると、当時の打者と被控訴人との距離は、約一三ないし約一四メートルであったと考えられる。当審で提出する〈書証番号略〉までの書証(当時の野球部員の陳述書)によっても、ピッチャーの軸足とホームベースの距離は、短くても15.68メートル以上であったとされている。そして、本件事故当時の明るさは、野球の練習に差し支えのない程度であって、投手であった被控訴人から打者をみた場合に逆光であったということはない。

また、仮に打者との距離が約一二メートルであったとしても、投手が打球の注視を怠らず、直ちに回避措置を取れば、打球の直撃を避けられたはずであって、秋元監督が命じた練習方法は、危険なものではない。すなわち、ハーフ・バッティングの場合、投手を務めるのは野手であり、その投球速度は、本来の投手に比較して一般に遅い。ハーフ・バッティングの場合には、全力で投球する場合の七、八割の力で投げるのである。そして、打球の速度は、投球の速度に比例するので、ハーフ・バッティングの場合の打球の速度は、投手の全力投球、打者の全力打撃の場合の球速の三分の二程度にとどまる。したがって、投手と打者の間の距離が正規の試合の場合の18.44メートルの約三分の二である約一二メートルしかなくても、打球の速度が投手の全力投球・全力打撃の場合の約三分の二にとどまる以上、本件ハーフ・バッティング練習がスポーツの内包する危険性を超える程度に危険であるとはいえない。原判決はハーフ・バッティングでも球足が早くなることがありうるとしているが、単なる憶測に過ぎず、証拠に基づかない認定である。ハーフ・バッティングでは、投手の避けられないような早い打球となることはなく、そのようなことが希にあるとしても、その確率はきわめて低いから、本件の練習方法は、危険であるとはいえない。もし、ハーフ・バッティングの投手と打者の間隔が一二メートルでは危険であるとすれば、本件高校で本件事故以前にも同種の事故あるいはこれに近い危険なことが起こったはずであるが、そのような例はなく、証人山田は、ハーフ・バッティングの投手を務めていて特に恐いと思ったことはないと証言しているのであり、本件練習方法は危険なものではない。

本件事故は、被控訴人の自己過失(打球不注視)によるものであり、仮に被控訴人と打者との距離が約一二メートルであったとしても、その距離と本件事故との間に因果関係はない。被控訴人のような訓練を受け経験を積んだ野球部員が、打球の直撃を避けるために、防球ネットに隠れるとか打球をグローブで払い落とすとかの方法をとらず、顔を背けるという最も拙劣な方法を取ったのは、打球から目を離していたか、または、打球を避けることができるのに適切な方法で避けなかったのかのいずれかの過失がある。本件では打球は頭部の側面(右耳の後ろ)に当たっているが、野球の全身反応時間は0.39秒あるから、被控訴人がボールから目を離さなければ、必ず避けられるのであり、ボールが頭部側面に当たることはないから、現に当たったということは、すなわち被控訴人がボールから目を離していたことを意味するのである。

三  証拠関係〈省略〉

理由

一当裁判所も、次に記載するほか原判決と同一の理由により、被控訴人の本訴請求は原判決の命じた限度で認容するべきものと判断する。

(控訴人の当審における主張について)

1  打者と投手の間の距離について

本件提訴前に行われた証拠保全の結果によると、バックネットと固定式ホームベースとの距離は、15.07メートルであったものと認められる。他方、本件事故当時、投手はバックネットから約三メートルの地点から投球していたこと、また、打者は固定式ホームベースを目印にして、そのおおよそ両側のところから打っていたことについては、原審において秋元証人を除いて当時の野球部員であった証人等のすべてがこれを認めている。このような証拠保全の結果と証言の内容をもとにすれば、本件における打者と投手の間の距離は、原判決と同様に、約一二メートルであったと認めるべきものである。投手は、投球と同時に身体が前方に移動するのであるから、上記の距離がさらに若干縮まる可能性はあり、このことを考慮に入れなければならないが、右の認定に大きな狂いはないものといわねばならない。

右の距離について、当審において控訴人は、当時の野球部員作成の陳述書(〈書証番号略〉)を提出しており、そこに記された打者と投手の間の距離は、控訴人の主張どおりである。しかし、その内容は、原審における証人の証言と異なるうえ、被控訴人代理人や被控訴人の父親が、本訴提起前に関係者から聴取した内容とも異なるものであり(〈書証番号略〉)、その内容をそのまま採用することはできない。

そして、証拠(〈書証番号略〉、当審証人山﨑一佐証言)によると、ハーフ・バッティングで投手と打者との距離を一二メートル程度にして練習している学校もないではないが、どちらかといえば一三、四メートル以上としている学校が多く、一二メートルという投球距離は、他に比較して短い方であると認められる。

2  本件事故当時の明るさについて

証拠によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 本件事故は、昭和六二年二月一七日午後五時過ぎに発生したが、その日の日没の時刻は、午後五時二二分であった(弁論の全趣旨)。

(二) 天候は、曇っており、事故後雪が降ってきた。どんよりとして暗い天候であった(〈書証番号略〉、原審証人沼尾守、小倉健嗣の証言、被控訴人の尋問結果。)

(三) 冬の日没時刻で光は西から東に射すこととなるが、投手の側から打者をみると北西をみることとなり、後記のテープ録画の検証結果によると、投手から見るボールは黒く、打者から見るボールは比較的白く見える。このことは逆光であったことを示している(原審検証の結果、当審検証の結果)。

(四) 当時練習で使われていたボールは、グラウンドがぬかるんでいたため、泥で汚れ見えにくかった(原審証人沼尾守証言)。

右のとおり認めることができる。日没時間が本件事故当日と同じ平成五年一〇月三日の事故現場でのハーフ・バッティングの様子を撮影したテープ録画の検証の結果によると、事故の起こった時間の前後に次第に薄暗くなり、道路を往来する自動車が前照灯などを点灯する状況が写されているが、このような薄暮の時間帯は、人間の眼の特性からみて遠近感をつかみにくく、飛んでくるボールなどが最も見えにくいことは経験則上明らかである(このことは、野球歴の長い関係者も認めている。〈書証番号略〉、当審証人山﨑一佐証言)。さらに投手の頭部・顔面を直撃するライナー性の当たりの場合は、投手はボールの進行方向の真正面でみるためその速度や位置をつかむことが困難であり(〈書証番号略〉参照)、そして前記のとおり、本件事故の場合は少なくなった光のもとで、しかもその光が投手からみて逆光の状態にあったのであるから、泥で汚れたボールは、投手にとって、極めて見にくい状況にあったものと認められる(〈書証番号略〉、原審証人沼尾守証言、被控訴人の尋問の結果)。

薄暮の時間帯に行われていた本件の練習方法の危険性を検討する場合には、これらのことを看過することはできない。

3  ハーフ・バッティング練習の危険性について

控訴人は、ハーフ・バッティングの場合の打球の速度は、投手の全力投球、打者の全力打撃の場合の球速の三分の二程度にとどまるとしている。しかし、現実に行われていたハーフ・バッティング練習が控訴人のいう定義どおりのものであったと断定する証拠はなく(〈書証番号略〉及び原審証人小倉健嗣証言によれば、打ち方の力加減には個人差があり、フリー・バッティングのような打ち方をする者もいるという。)、本件事故当時のハーフ・バッティング練習で投手の投げる球のスピードにしても、時速一〇〇キロ前後であった可能性は高く(〈書証番号略〉、原審沼尾守証言。なお、〈書証番号略〉及び原審証人小倉健嗣証言によると、本件事故当時の練習では、山なりの球ではなく、ピシッとした球が投げられていたという。)、必ずしも〈書証番号略〉等でいわれているような七、八〇キロどまりの緩い球だけが投げられていたとは限らないものと認められる。

そして、ハーフ・バッティングの練習でも、打者がジャスト・ミートするならば、その球速が投球のスピードを大きく上回ることは見やすい道理であり(〈書証番号略〉、当審証人山﨑一佐証言参照)、「ハーフの練習でジャストミートすると球速があってピッチャーにとってはとても恐く感じる。」(原審証人沼尾守証言二四七丁裏)、「自分は控えのピッチャーだが、ハーフの練習でピッチャーをやって恐いと感じたことがたまにある」(原審証人小倉健嗣証言三〇五丁裏)とか、「本件の場合、球速は速く、打った瞬間に即当たったという感じであった」(原審証人沼尾守証言二六一丁、二八三丁)という感想が当時の野球部員によって語られるのは不思議ではない。

野球の専門家でも打球の速さを測ることは容易ではないようであって(当審山﨑一佐証言)、本件事故当時の打球の速さを確定することは困難であるが、仮に控えめにみて時速一二〇キロメートル程度であったとしても、秒速は、33.33メートルであり、打者と投手の距離が一二メートルとすると、0.36秒で投手に達する。人の反応時間は、0.4ないし0.8秒という説のほか、0.6ないし0.8秒という説もあるが(交通事故損害賠償必携一六九頁参照)、仮に野球選手の反応時間が短く、控訴人主張のとおり0.39秒であるとしても、一二メートルの投球距離で頭部・顔面を直撃する時速一二〇キロの打球を安全に処理することは、相当に困難な面があることを否定できない。

そして、本件事故の場合は、前記認定のとおり、冬の雪空が薄暗くなりつつある夕暮れ時であり、そのうえ投手からみて逆光で泥に汚れたボールは特に見えにくいうえ、ボールは投手が最も距離や速度を把握しにくい真正面をつくライナー性の当たりであった。このように悪条件が重なれば、投手の打球に対する反応が、ボールが間近に迫ってからになる場合もあり得ないではなく、その場合には、もはやこれを安全に避ける時間的余裕が失われてしまうといわねばならない。

このように見てくると、ハーフ・バッティングは、それ自体は効果的な打撃練習方法の一つとして広く行われているものであって、一般的には是認されるものであるとしても、実施の時間帯や方法の如何によっては投手にとり危険性の高い練習方法であって、投球距離を短くしてハーフ・バッティングを実施する場合には、投手が投球後直ちにL字型防球ネットの高い部分に身を隠すよう指導するほか、必ず明るさなどの条件がよい時間帯に行い、投手の投球距離等についても状況に応じた調整をするなど、きめこまかく安全に配慮したうえ実施するべきものである。本件では、投球距離を他よりも比較的短い一二メートル程度にしてハーフ・バッティングをしているのに、暗い曇天(雪空)の薄暮の時間帯になってもやめず、また投球距離や打撃の方法等についても前記のような当時の状況に応じた格別の指導をすることなく練習を継続させたのであり、この点において、安全配慮に欠けるところがあったものと評価せざるを得ない。

4  被控訴人の自己過失(打球不注視)について

控訴人は、被控訴人が打球を注視していなかったことが、本件事故の原因であるとしている。

既に検討したように、本件事故の場合の打者と投手の間の距離及び事故当時の明るさなどを前提とすると、投手が打球を注視していてもハーフ・バッティングで打たれたライナー性の打球を避ける余裕がない場合が起こりうることが認められる。そして、本件事故の場合、ボールが被控訴人に当たったときの音は異様に大きく(〈書証番号略〉、原審証人沼尾守証言)、ボールの直撃を受けた被控訴人の頭蓋骨は大きく陥没しており(〈書証番号略〉)、このような衝撃の音や強さをみても、ハーフ・バッティングとしては球速が極めて大きかったものと認められるのであり(本件事故の際に捕手をした原審証人沼尾守は、「打球は被控訴人めがけて真すぐ飛んでいき、球速は速く目で追えるようなものではなく、打った瞬間当たったと思った。被控訴人が防球ネットに隠れようとしても間に合う状態ではなかった。」と証言している。二六〇丁裏以下、二八三丁)、そうであれば、被控訴人が打球に反応することができたのが、ボールが間近に迫ってからであった可能性が大きい。

そして、控訴人は、被控訴人の打球の避け方、特に顔を背けたことなどから、被控訴人はボールを注視していなかったと主張するのであるが、避ける余裕のない速さの打球が自分の頭部・顔面を直撃してくることを認識した場合に、控訴人の主張するように反射的にグローブで打球を払い落とそうとする野球選手が多いことは一応これを認めるとしても、驚愕・狼狽した者が打球に対してどのような反応をするのが通常であるとまでいうことはできないから、被控訴人のボールの避け方をみて、被控訴人がボールを注視していなかったと結論づけることは困難であるといわざるを得ない。当審証人山﨑一佐の証言によっても、投手を務める一般的な野球選手が投球後ボールが打ち返される前にボールから目を離すということは、特別のことでもない限り考えられないとされているのであり、本件において右特別のことがあったことをうかがわせる証拠は全く存在しない。したがって、本件では、被控訴人の自己過失(打球不注視)を認めることはできない。

二以上のとおり、原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却するべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官淺生重機 裁判官杉山正士)

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